読書記録

自分の生き方を変える「本」に出合ったことはないでしょうか? ほかの人は何も興味をもたなくても、あなたは心揺さぶられ、生き方が変わる不思議でそして衝撃的な出会いはありませんでしたか?

私にとってその一冊は、『子どもの発達におけるオペラント行動』(S.W.ビジュー & D.M.ベアー(著), 山口薫・東正(訳), 日本文化科学社, 1972)です。大学2年生で障害児教育を専攻していた私は、「理論もなく障害のある子どもたちの教育はできるのだろうか?」と日々悶々としていました。当時はフロイトやユングの本を読みながら理論を探し求めていたのですが、出会いはありませんでした。そんな時、大学の図書館でふと手に取ったのが出会いの始まりでした。薄い本でしたのですぐ読み終え、「ここに理論がある!」「これで障害のある子どもたちの教育を生涯にわたってやっていける!」と、まさに目からうろこが落ちる体験でした。その後今に至るまで、応用行動分析学や行動理論が私の職業生活の拠り所となりました。

もう一冊あげるなら『キュリー夫人伝』(エーヴ・キュリー(著),川口・河盛・杉・本田(共訳),白水社,1974年(第4版第7刷))です。大学1年生の頃、夜な夜な読み、貧しい境遇の中、異国の地フランスで寝食を忘れて研究に打ち込む姿に励まされました。

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印象に残った本を紹介します。(順次加筆中/本のタイトルはAmazonにリンク)

佐々木健一(2017)『Mr.トルネード 藤田哲也 世界の空を救った男』 文藝春秋 (292頁)

ダグラス・パウエル著,山中克夫監訳(2014)『脳の老化を防ぐ生活習慣ー認知症予防と豊かに老いるヒントー』 中央法規出版 (276頁)

物忘れや体力の衰えなど、私の体感では55歳を超えて自分の老化を明確に意識するようになりました。一方で、その頃、大学や学会での仕事は増えることはあっても減ることはない状況でした。これらの仕事に何とか頑張って取り組みつつ、これからの老化にどのように向き合えばよいのか、と考え始めていました。

私が本書に出合ったのは58歳の時です。監訳者の山中克夫先生から出版後すぐに本書をいただきました。帯には「50代からを豊かに生きるハーバード流健康長寿の入門書!」と記されていました。「50代からを豊かに生きる」というのはまさに私が直面していた課題でした。本書の冒頭には「脳や身体の老化を防ぐためのチェック表」が載せられ、”脳や身体の老化を防ぐための習慣”と”脳や身体の老化を防ぐための知識”についてたくさんのチェック項目(本書の要点)が記されていました。ここを読むと一般書のような印象でしたが、実際にはたくさんの研究データ(エビデンス)に基づきつつ、読者にわかりやすく書かれたものでした。

本書を読んで「本当に良かった!」「これからの生き方の指針になる!」と思ったのは、67頁から始まる「原則2 補償を伴う選択的最適化(SOC)を実践する」、特に①「活動を変更・厳選する」でした。「活動の変更」はこれまでやりがいを持って取り組んできたことが定年などによってそれを続けられなくなったときに、それに似たようなやりがいのある活動・役割に変更することです。「活動の厳選」は現在の能力、モチベーション、機会から優先すべき活動や役割を絞り込むことです。「活動の厳選」の例として大学病院に勤務するA医師が紹介されています(68~70頁)。このA医師の例は時々思い出して励みにしています。以下引用です。

「彼は、これまで、大学病院での診療に加え、学生指導、研究、各種委員会活動など、とてもあわただしい日々を送ってきました。しかし、能力やモチベーションの低下を感じるようになり、自分の活動や役割を整理したほうがよいと思うようになりました。考えた末、彼は自分が最もやりがいを感じる、患者の診療を活動の中心にすることにしました。加えて、再診患者の診療に専念することに決め、新患をとらないことにしました。さらに、これ以外の活動や役割はやめることにしました。確かに未練はありました。でも、こうした思い切った決断によって、自分が一番やりたい診療に専念することが可能になったのです。」(68~69頁)

A医師の決断(選択的最適化)は、私が大学教員を引退し、KBS発達教育支援研究所を設立したことにつながっています。老化のスピードや様態、生活環境は人それぞれです。しかし老化は必ずやってきます。その時に本書を勧めたいと思います。

A医師は決断後も様々な工夫をしています。例えば、②「能力を最適な状態にする」こととして、処理速度が遅くなり記憶力が低下したために「診察直後に必ずカルテの記載を済ませるように」したり(69頁)、③「能力を補う」ために、「午後の能力低下を補うために、治療が難しい患者を午前に診察する」ことにしたり(70頁)、様々な工夫を自覚的に取り入れていました。

山中先生は本書出版に合わせて講演や指導のためにパウエル博士を招聘されました。私も研究室で直接博士にお会いする機会をいただきました。山中先生にはほかにも『チャレンジング行動から認知症の人の世界を理解する―BPSDからのパラダイム転換と認知行動療法に基づく新しいケアー』(星和書店,2016)など、本サイトに関連する著書・訳書がありますので、別の機会に紹介したいと思います。

【目次】

脳や身体の老化を防ぐためのチェック表

序論 私がこの本を書いた目的

第1章 認知機能からみたサードエイジからの人生設計

第2章 認知機能の変化とサードエイジで能力を最大限発揮するための5つの行動原則

第3章 身体の健康と認知機能の関係―身体の健康の維持が知的老化を防ぐ

第4章 認知機能からみた3タイプの年のとり方―生活習慣や行動の違いに着目して

第5章 さらなる考察―サードエイジをもっと豊かに生きるために

私は藤田哲也博士を知りませんでした。藤田博士は世界的な気象学者で(竜巻の規模を示すFスケールを作った人)、長くシカゴ大学教授を務めた人ということを、つい最近知りました。アメリカ市民権を取得されていますので、Dr.Fujitaと呼ぶべきかもしれません。

藤田博士のことを知ったのは近くの図書館の一角に博士の胸像があり、顕彰コーナーが設けられていたことからです。藤田博士は私が住んでいるところの近くに生まれ(1920年)、小倉中学(現・福岡県立小倉高校)から明治専門学校(現・九州工業大学)で学び、九工大助教授(物理学)の時に「あること」をきっかけにシカゴ大学に留学され、その後、シカゴ大学教授(気象学)としてFスケールの考案に代表される竜巻研究や、飛行機事故につながるダウンバースト及びマイクロバーストの発見など、ノーベル賞級の研究業績を残され、1998年に米国で死去されています。

本書は、藤田博士の生涯を多数の資料及び多数の関係者のインタビューに基づいて書き記したものです。藤田博士のことを知る日本在住者はもちろん、米国時代の関係者も現地に訪ね、その多くは高齢になられていて貴重なインタビュー記録にもなっています。それらの資料とインタビューによって博士の研究の顛末や人となりが紡ぎ出されています。

特に印象に残ったことは2つあります。1つは、博士の研究は「観察に徹底する」ものだった、ということです。気象データの記録はもちろんですが、竜巻の被害地にすぐさま飛んでいき、数えきれないほどの写真を撮り、独自の仕方でデータ(数値)化し、竜巻という気象現象の様態を突き止める、という手法です。飛行機事故につながるダウンバーストやマイクロバーストの発見では、パイロットの証言を現場人の体験として重視し、極地的・瞬間的な下降気流を仮定し、大規模な装置(ドップラーレーダー)による観測データに基づきその存在が実証されました。「観察に徹底する」ということは、現実に起きている事象を先入観なしに理解し、それまで見えていなかったことを見えるようにする、という点で、私の研究にも通じるものがあります。先行研究によって明らかにされていることはもちろん重要なことですが、それによってすべてが明らかにされているわけではなく、かえって真実が見えなくなることもあるのです。

もう1つは、博士の研究は「様々な出会い」によるものだった、ということです。旧制中学卒業間際にお父様を亡くされ、家族を支えるために進学をあきらめておられた時、校長先生の計らいで授業料免除され、明治専門学校に進学できたそうです(小倉中学の卒業式では同校初の「理科賞」が授与されるなど、校長先生は博士の類まれな才能を評価されていました)。米国シカゴ大学で竜巻の研究を始めたのも、バイヤース教授の一言からだったそうです(「竜巻の研究をしたらどうだい? アメリカでは、竜巻はまるで生き物のようだ。きっと面白い研究対象になると思うよ」 教授はもう一言付け加えています「これまでに多くの気象学者が竜巻に取り組んできたから、どんなに頑張っても、この分野の先駆者になるのは難しいかもしれない。」(74頁))。その他にも、中学で習得した地図や等高線の描画法、長崎への原爆調査団参加、背振山観測所(福岡管区気象台)、等々、たくさんの出会いによって博士の研究が導かれていったことがわかります。

そして最大の出会いは博士がシカゴ大学に招かれるきっかけ(のきっかけ)となった、冒頭に記した「あること」です。背振山観測所での雷雨の観測データ解析から雷雲には下降気流も存在することを英文論文「雷雨の鼻の微小解析研究」(中央気象台『歐文彙報』1950年)にまとめられたのです。「あること」はその後日談です。その出来事は63頁に記されています。背振山観測所の隣にある米軍のレーダー基地のゴミ箱にあるものが捨てられていて、「誰かが論文を捨てていたんです。それは、シカゴ大学が出版している雷雲についての論文でした。友人がそれを拾って『アメリカにも雷雲の研究をしている人がいるじゃないか』と教えてくれたんです。」 先の英文論文を海外の研究機関に送りたいと考えていた博士は、その論文に名前のあったシカゴ大学バイヤース教授(当時、米国気象学会会長)に送られたのです。これがきっかけになりシカゴ大学への留学、そして教員(研究者)生活が始まったのです。

余談かもしれませんが、著者の佐々木氏はこの論文を拾ったのが誰だったのかについて、インタビューでも確実にはわからなかったようです。ただお一人だけ、藤田博士から博士自身が「論文を自分で見つけた」と聞いておられたということです。著者は終章に「ゴミ箱の論文の謎」という節を設け、「私もゴミ箱の論文を拾ったのは藤田本人であると思う」と記し、「明かせなかった理由は、廃棄物とは言え、米軍施設のゴミ箱から勝手に入手したとは言えなかったからだろう」と推測しています。

この「ゴミ箱の論文」については、 1993 年 12 月 9 日に行われた福岡管区気象台での講演「台風とハリケーン」(注1)で博士ご自身が言及されています。その友人は「タナカ」さんだったそうです(7分40秒頃)。この出来事は偶然だったかもしれませんが、先述の出会いと同様、その出会いを生かす下地を博士は持っておられたと言えるでしょう。

私が藤田博士を知ったのも、図書館にコーナーを設けられた方々との出会いがあったからです。


(注1)この講演動画は、福岡管区気象台の以下の文書に記載されているURLから視聴することができます。

福岡管区気象台「藤田哲也博士の講演動画の公開について」(令和4年3月24日付)

 https://www.data.jma.go.jp/fukuoka/gyomu/osirase/20220324_fujita.pdf (最終閲覧日:2023年6月22日)


(参考)

藤田哲也博士記念会ホームページ

 http://fujitascale.sakura.ne.jp/index.html (最終閲覧日:2023年6月22日)

金氏 顯(2020)「藤田哲也博士記念会20年間の活動紹介」 天気(日本気象学会機関誌), 67(12), 715-717.

  https://www.metsoc.jp/tenki/pdf/2020/2020_12_0023.pdf    (最終閲覧日:2023年6月22日)

北九州市科学館スペースLABO (1Fに藤田博士コーナー)

 https://kitakyushuspacelabo.jp/ (最終閲覧日:2023年6月22日)

九州工業大学附属図書館「藤田哲也コレクション」特設ページ

 https://www.lib.kyutech.ac.jp/library/node/1470 (最終閲覧日:2023年6月22日)




小塩 節(2017)『「神」の発見—銀文字聖書ものがたり―』 教文館 (171頁) 加筆中

本書を手に取ったきっかけは、2023年6月18日にNHK  Eテレで放映された「アーカイブ 追悼 ドイツ文学者・小塩節 神との対話-ゴート語訳聖書の世界」です。2004年3月に放映されたものですが、小塩氏が2002年5月に亡くなられ追悼の再放送となったものです。

私はこの番組で「銀文字聖書(ゴート語訳聖書)」の存在を始めて知りました。そして本書を読み始めました。


(参考)

NHK「アーカイブ 追悼 ドイツ文学者・小塩節 神との対話-ゴート語訳聖書の世界」

 https://www.nhk.jp/p/ts/X83KJR6973/episode/te/LG6J6YVKVG/ (閲覧日:2023年6月23日)

野間秀樹(2021)『新版 ハングルの誕生―人間にとって文字とは何か―』 平凡社ライブラリー  (462頁) 準備中